秋田県八郎潟における漁業と水産加工業の存続形態

岩村美也子

1 はじめに

 八郎潟はかつて、琵琶湖に次いで日本第2位の面積を誇る汽水湖であった。漁獲量も豊富で、八郎潟周辺地域ではそれらを原料とした佃煮加工業がかつてから盛んに行われていた。しかし、1957(昭和32)年に干拓事業が着工され、干拓後の八郎潟は、漁業の対象となる水域の減少、1961(昭和36)年の防潮水門の完成による湖水の淡水化などにより、漁獲量が減少し、魚種も変化・減少した。
 八郎潟における漁業・水産加工業についての研究としては、高橋(1957)、早稲田大学教育学部地理学研究会編(1965)、三浦(1983)などが挙げられる。これらの研究は、八郎潟における漁業・水産加工業が干拓により大きな負の影響を受けたことを明らかにした。しかしながら、八郎潟における漁獲物のほとんどは、現在も地元沿岸域の水産加工向けであり、両者は強い結びつきを保ちながら存続している。また、これらの研究では、八郎潟における水産増・養殖業や、八郎潟周辺地域で佃煮加工業とともに広く行われている煮干加工業が、深く調査されていない。そこで、本研究では八郎潟における漁業・水産加工業が、八郎潟の干拓という家庭を経ながら現在に至るまでにどのような変化を遂げ、いかにして存続しているのか、漁業については水産増・養殖業、水産加工業については佃煮加工のほかに煮干加工についても取り上げ、相互の関係にも留意しながら明らかにすることを目的とする。
 本研究の対象地域は、八郎潟とこれに面している男鹿市・若美町・八竜町・山本町・琴丘町・八郎潟町・五城目町・井川町・飯田川町・昭和町・天王町の1市10町で、これらを八郎潟周辺地域と称する。
 本研究における八郎潟とは、干拓前の八郎潟及び干拓後に残された八郎潟調整池、東西承水路・船越水道を会わせた水域を意味する。(第1図)

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